「マイペンライ」と「インシャーアッラー」、タイとパキスタンの国民性の違いとビジネスへの活かし方

執筆者:山田雄介(アジア古着市場アナリスト・貿易コンサルタント)


サワディークラップ!バンコクから山田です。

こちらタイでビジネスをしていると、日に何度も耳にする魔法の言葉、「マイペンライ(大丈夫、気にしない)」。一方、かつて私が駐在していたパキスタンでは、「インシャーアッラー(神が望むなら)」という言葉が人々の生活に深く根付いています。

一見すると、どちらも「どうにかなるさ」的な楽観性を感じさせる言葉かもしれません。しかし、バンコク在住14年、そしてカラチでの駐在経験を通じて両国のビジネスの最前線に立ってきた私から見ると、この二つの言葉の裏には、仏教とイスラム教という全く異なる文化的背景と、ビジネスを進める上で決定的に重要な国民性の違いが隠されています。

この違いを理解せずに交渉に臨むと、「大丈夫」と言われたのに納期が全く守られない、「神が望めば」を言い訳にされているように感じる、といった思わぬ落とし穴にはまることも少なくありません。

この記事では、私の実際の失敗談も交えながら、タイとパキスタンの国民性の本質を解き明かし、皆さんが現地で確かな信頼関係を築き、ビジネスを成功させるための実践的なヒントをお届けします。

「マイペンライ」の本当の意味とは?タイの国民性と仏教的背景

タイでビジネスをする上で、「マイペンライ」という言葉を理解することは、人間関係を築く第一歩と言っても過言ではありません。

「大丈夫」だけじゃない!マイペンライの多義的なニュアンス

「マイペンライ」は実に多様な場面で使われます。

  • 感謝された時の「どういたしまして」
  • 謝罪された時の「気にしないで」
  • 何かを断る時の「結構です、大丈夫です」
  • 困難な状況での「仕方ないね」「なんとかなるさ」

ビジネスシーンで注意が必要なのは、納期遅れの連絡などで使われるケースです。以前、ある縫製工場にTシャツの発注をした際、納期の3日前に担当者から「山田さん、ごめん!ちょっと生地の到着が遅れてて…でも、マイペンライ!」と悪びれもなく言われたことがあります。

当時の私は「大丈夫じゃないだろう!」と頭に血が上りましたが、ここで感情的に相手を責めても事態は好転しません。この場合の「マイペンライ」は、「ごめんね、でもなんとかするから、あまりカリカリしないで」というニュアンスが含まれているのです。彼らは問題を軽視しているのではなく、人間関係を悪化させずに問題を解決したいという気持ちの表れなのです。

根底にある上座部仏教と「サバイサバイ」の精神

なぜタイの人々はこのような考え方をするのでしょうか。その根底には、国民の9割以上が信仰する上座部仏教の教えがあります。上座部仏教では、「今、この瞬間を大切にする」「物事に執着しない」という考え方が重視されます。過去を悔やんだり、まだ来ぬ未来を過度に心配したりするよりも、現在の心の平穏を保つことが「徳を積む(タンブン)」行為に繋がると考えられているのです。

この仏教的価値観が、タイ人の「サバイサバイ(心地よい、快適な状態を好む)」という精神を育んでいます。彼らにとって、ビジネス上の対立や厳しい追及は「サバイ」ではない状態。だからこそ、「マイペンライ」という言葉で場の空気を和ませ、円満な解決を目指そうとするのです。

ビジネスにおける「マイペンライ」との付き合い方

では、「マイペンライ」と言われたらどうすればいいのか。重要なのは、相手を責めずに、協力的な姿勢で問題解決を促すことです。

  • 感情的にならない: まずは深呼吸。「マイペンライ」は文化の表れだと理解しましょう。
  • 現状を正確に把握する: 「OK、マイペンライ。それで、今どういう状況かな?何か手伝えることはある?」と冷静に問いかけます。
  • 一緒に解決策を考える: 「じゃあ、Aの方法なら間に合うかもしれないね」「Bの業者に私が連絡してみようか?」と具体的な代替案を提示し、協力姿勢を見せることが信頼構築に繋がります。

タイでのビジネスは、契約書以上に「ナムチャイ(思いやりの心)」に基づいた人間関係がモノを言います。問題が起きた時こそ、相手に寄り添う姿勢を見せることで、より強固なパートナーシップを築くことができるのです。

「インシャーアッラー」をどう捉える?パキスタンの国民性とイスラム教的背景

舞台をパキスタンに移しましょう。ここでは「インシャーアッラー」という言葉が、ビジネスから日常生活まで、あらゆる場面で聞かれます。

「神が望むなら」に込められた深い信仰心

「インシャーアッラー」は、直訳すると「もしアッラー(神)が望むならば」。これは、未来のことはすべて神の意志によって決まるという、イスラム教の深い信仰心に基づいています。

カラチに駐在していた頃、取引先の老舗業者アリさんと納期交渉をしていた時のことです。「来週の金曜日までに必ずお願いします」と念を押す私に、彼は真剣な眼差しで「インシャーアッラー」と答えました。これを単なる「できたらやるよ」という曖昧な返事や言い訳と捉えるのは早計です。

彼らにとって、未来を断定的に語ることは、全知全能である神の領域を侵す不遜な行為。「インシャーアッラー」は、「私としては最大限の努力を尽くすが、最終的にそれを実現できるかどうかは神のみぞ知る」という、人間の限界を認める謙虚さと、約束に対する真摯な意志の表れなのです。

約束や契約に対する考え方とビジネスへの影響

イスラム文化圏では、成文化された契約書よりも、人と人との信頼関係が重視される傾向があります。もちろん契約書は重要ですが、それはあくまで「現時点での合意」であり、状況の変化に応じて柔軟に見直されるべきもの、と捉える人も少なくありません。

ビジネスは人と人との関係から始まる、というのが彼らの信条。だからこそ、契約の話に入る前に、お茶を飲みながら家族や世間話に多くの時間を費やします。このプロセスを軽視して、日本流に効率だけを求めると、「信用できない相手」と見なされてしまう可能性があります。

ビジネスで「インシャーアッラー」と言われた時の確認術

この言葉を言われた時は、相手の信仰心に敬意を払いつつ、ビジネスとしてリスクを管理する必要があります。私が実践していたのは、一歩踏み込んだ具体的な質問です。

  • 敬意を示す: 「インシャーアッラー、承知しました。」と、まずは相手の言葉を受け止めます。
  • 障害を確認する: 「その上で、何か計画の障害になりそうなことや、私の方でサポートできることはありますか?」と具体的に問いかけます。
  • プロセスを共有する: 「では、水曜日に一度、進捗を共有させていただけますか?」と、中間確認のステップを設けることを提案します。

このように、相手の文化を尊重しながら具体的なアクションプランを一緒に描くことで、約束が実行される確率は格段に上がります。「神の意志」に委ねるだけでなく、その意志が実現するための「人間の努力」を共に確認する姿勢が重要です。

【実践比較】古着ビジネスの現場から見る国民性の違い

私が専門とする古着貿易の現場では、この国民性の違いがより顕著に現れます。

項目タイの業者(ソムチャイさん)パキスタンの業者(アリさん)
納期遅延への対応「マイペンライ!来週にはなんとかなるよ!」(楽観的だが、具体的な根拠は薄いことが多い)「インシャーアッラー。コンテナ船の到着が遅れているが、アッラーが許せば来週には…」(問題点は正確に認識している)
品質トラブルへの考え方「えっ、本当?ごめんね…」と謝罪はするが、人間関係を損なわないよう穏便に済ませようとする。「そんなはずはない!」と最初はプライドから非を認めにくいが、論理的に証拠を示すと納得し、改善に動く。
価格交渉の進め方雑談を交え、和やかな雰囲気で進む。「山田さんだから特別だよ」と情緒的なアプローチが響きやすい。丁々発止の駆け引きを楽しむ。「この品質ならこの価格のはずだ」と論理的な根拠に基づく交渉が好まれる。

ケース1:納期遅延への対応の違い

タイのソムチャイさん(仮名)に遅延のフォローアップをする際は、「何か困ってる?手伝うよ」と寄り添い、一緒にスケジュールを再設定します。一方、パキスタンのアリさん(仮名)には、「船会社の新しいETA(到着予定日)は出ていますか?」と、具体的な事実ベースで確認を進める方がスムーズです。

ケース2:品質トラブルに対する考え方

タイの業者に品質クレームを入れる際は、まず「いつもありがとう」と感謝を伝え、「今回、少しだけ気になる点があって…」と柔らかく切り出すのが得策です。パキスタンの業者の場合は、写真やデータを元に「このロットのB品混入率が契約のX%を超えている」と客観的な事実を淡々と伝えることで、相手もビジネスライクに対応してくれます。

ケース3:価格交渉の進め方

タイでは、交渉の前に食事を共にし、「貸し」を作るような人間関係の構築が有効です。パキスタンでは、市場データや品質基準など、論理的な武器を揃えて粘り強く交渉に臨むことが良い結果に繋がります。

失敗から学んだ!両国で信頼を勝ち取るための5つの鉄則

これらの文化の違いを乗り越え、確固たる信頼を築くために、私が長年の経験、特に2016年に大きな商談を失った手痛い失敗から学んだ鉄則を5つご紹介します。

鉄則1:時間をかけて人間関係を構築する

両国に共通して、ビジネスの前にまず「人として信頼できるか」が厳しく見られています。取引の話だけでなく、家族の話をしたり、食事を共にしたりする時間を惜しまないでください。ビジネスは人と人との関係から始まります。

鉄則2:相手の「面子」を絶対に潰さない

人前での叱責や厳しい指摘は、相手のプライドを深く傷つけ、関係修復を不可能にします。2016年、私はパキスタンのパートナーの前で彼の部下のミスを厳しく指摘し、商談そのものが破談になった苦い経験があります。問題指摘は、必ず1対1のプライベートな場で行うのが鉄則です。

鉄則3:宗教と王室(タイ)への敬意を言動で示す

タイでは王室への敬意、パキスタンではラマダン(断食月)やお祈りの時間への配慮が不可欠です。例えば、国王の誕生日にはSNSでお祝いメッセージを送る、イスラム教徒のパートナーとの会食では豚肉やアルコールを避けるといった具体的な行動が、相手の心を開きます。

鉄則4:「即断即決」を求めすぎない

日本のビジネスではスピードが美徳とされますが、その感覚を押し付けてはいけません。タイでは関係者とのコンセンサスを重視しますし、パキスタンではトップダウンでありながらも周囲の意見を聞くプロセスがあります。相手の意思決定のペースを尊重し、じっくり待つ姿勢も時には必要です。

鉄則5:現地の言葉で心を開く

完璧な言葉は必要ありません。「サワディークラップ(こんにちは)」「コップンクラップ(ありがとう)」、あるいは「アッサラーム・アライクム(こんにちは)」「シュクリア(ありがとう)」といった簡単な挨拶や感謝の言葉を現地語で伝えるだけで、相手との心理的な距離はぐっと縮まります。

よくある質問(FAQ)

Q: タイで納期を守ってもらうには、どうすれば良いですか?

A: まず「マイペンライ」を鵜呑みにしないことです。定期的に進捗を確認し、「何か困っていることはありますか?」と協力的な姿勢で寄り添うことが重要です。また、少し早めのデッドラインを設定し、バッファを持たせるのも実践的なテクニックです。私の場合、重要な案件では週に一度は直接顔を合わせるようにしています。

Q: パキスタンのビジネスパートナーとの約束で「インシャーアッラー」と言われたら、その約束は守られない可能性が高いですか?

A: 必ずしもそうとは限りません。「神の御心のままに」という謙虚な姿勢の表れであることが多いです。ただし、楽観視は禁物です。その場で「承知しました。その上で、私の方で何かサポートできることはありますか?」と一歩踏み込んで確認し、具体的な行動計画を一緒に立てることで、約束が実行される確率は格段に上がります。

Q: 食事に誘われた際の注意点はありますか?

A: タイでは、誘われた側が支払うことはあまりありません。感謝を示し、次回はこちらから誘うのがスマートです。パキスタンでは、イスラム教の教えに則り、豚肉とアルコールは厳禁です。また、食事は右手で食べるのがマナーです。どちらの国でも、食事の誘いは関係を深める絶好の機会なので、喜んで受けましょう。

Q: 女性がビジネスをする上での注意点はありますか?

A: タイでは女性の社会進出が進んでおり、ビジネスの場で女性が活躍することに違和感はほとんどありません。一方、パキスタンは保守的な側面もあり、特に地方では女性がビジネスの前面に出ることはまだ少ないです。しかし、カラチなどの都市部では状況も変わってきています。いずれにせよ、肌の露出を控えた服装を心がけるなど、現地の文化への配慮は重要です。

Q: 贈り物(お土産)で喜ばれるものは何ですか?

A: タイでは、日本の高品質な文房具やお菓子が喜ばれます。王室や仏教に関連するものは避けましょう。パキスタンでは、日本の伝統的な工芸品や、可能であればノンアルコールの質の良い食品が好まれます。相手の家族、特に子供向けのプレゼントを用意すると、非常に喜ばれ、関係が深まります。

まとめ

「マイペンライ」と「インシャーアッラー」。

この二つの言葉は、タイとパキスタンの国民性を理解する上で非常に示唆に富んでいます。タイの「マイペンライ」は、仏教的な価値観からくる「今ここ」を大切にする柔軟さの表れであり、ビジネスでは共に解決策を探る協調性が鍵となります。一方、パキスタンの「インシャーアッラー」は、イスラム教の絶対的な信仰心に基づく謙虚さの表れであり、ビジネスでは人間関係を基盤とした粘り強い交渉と相互理解が不可欠です。

文化や商習慣の違いは、決してビジネスの障壁ではありません。むしろ、その背景を深く理解し、敬意を払うことで、他の誰にも真似できない強固な信頼関係を築くことができます。この記事が、皆さんのアジアでのビジネスを成功に導く一助となれば、これほど嬉しいことはありません。


執筆者プロフィール
山田雄介(42歳)
アジア古着市場アナリスト・貿易コンサルタント
タイ・バンコク在住14年目、元伊藤忠商事、パキスタン駐在経験あり
専門分野:タイ・パキスタン・バングラデシュの古着市場
現地ネットワーク:古着卸業者50社以上との取引関係