元商社駐在員が語る、パキスタン古着ビジネスの知られぞるリスクと可能性

執筆者:山田雄介(アジア古着市場アナリスト・貿易コンサルタント)


アッサラーム・アライクム!バンコクの山田です。かつて商社マンとして駐在し、今では第二の故郷と呼ぶほど愛する国、パキスタン。熱気、混沌、そして人々の温かさが入り混じるこの国は、今、古着ビジネスの世界で「眠れる巨人」として静かに、しかし確実にその存在感を増しています。

世界中から古着が集まる一大集積地でありながら、その実態は日本ではあまり知られていません。 私が駐在していた頃、この巨大なポテンシャルに胸を躍らせる一方で、商社という看板があってもなお、一筋縄ではいかない数々の「壁」に直面しました。それは、単なる商習慣の違いという言葉では片付けられない、根深い文化や歴史に根差したものでした。

この記事では、机上の空論ではない、私がカラチの埃っぽい市場で肌で感じたパキスタン古着ビジネスのリアルをお伝えします。華やかな成功譚の裏に潜む知られざるリスクと、そのリスクを乗り越えた先にある大きな可能性について、私の経験を交えながら、実践的な視点で解説していきたいと思います。

パキスタン古着ビジネス

なぜ今、パキスタン古着市場なのか? – 眠れる巨人のポテンシャル

「なぜタイだけでなく、パキスタンなのですか?」とよく聞かれます。答えはシンプルで、無視できないほどの巨大なポテンシャルがそこにあるからです。私が駐在していた10年以上前からその片鱗はありましたが、ここ数年でその重要性はさらに増しています。

巨大な国内市場と若年層人口

パキスタンは世界第5位の人口を誇り、その多くが若年層で占められています。 この人口ボーナスは、ファッションへの関心が高い層が厚いことを意味し、古着の巨大な国内消費市場を形成しています。経済は不安定な側面もありますが、人々の購買意欲は旺盛で、特に手頃な価格でおしゃれを楽しめる古着は、生活に深く根付いています。

ヨーロッパ古着の主要な集積地

あまり知られていませんが、パキスタンは世界最大級の古着輸入国です。 特にヨーロッパやアメリカから大量の古着がコンテナで運び込まれ、南部の港湾都市カラチ近郊にある輸出加工地区(KEPZ)に集積されます。 ここで仕分けされた古着が、アフリカや他の中東、アジア諸国へと再輸出されていくのです。 つまり、パキスタンは古着の世界的なサプライチェーンの「源流」の一つであり、ここにアクセスすることは、価格競争力と多様な品揃えを確保する上で計り知れないメリットがあります。

日本の古着とは異なる独自の需要

パキスタンで扱われる古着は、日本のいわゆる「ヴィンテージ」とは少し毛色が異なります。もちろん、中にはお宝アイテムも眠っていますが、基本は「普段着」としての需要です。そのため、日本ではあまり価値が見出されないようなアイテムでも、現地では高値で取引されることがあります。例えば、シンプルなTシャツやワークウェア、丈夫なデニムなどは常に人気です。この「価値観の違い」を理解することが、パキスタン市場を攻略する第一歩と言えるでしょう。

商社マンも頭を抱えた、パキスタンビジネスの「3つの壁」

大きな可能性がある一方で、パキスタンでのビジネスは、東南アジアのそれとは全く異なる難しさがあります。私も商社時代、幾度となく頭を抱えました。ここでは、特に注意すべき「3つの壁」についてお話しします。

壁①:複雑な物流網と「見えないコスト」

パキスタンの物流インフラは、いまだ発展途上です。 カラチ港から内陸部への輸送は、道路事情や治安の問題もあり、時間もコストもかかります。 最近ではアフガニスタンを経由して中央アジアへ抜けるルートも開拓されつつありますが、依然として課題は多いのが現状です。

特に厄介なのが、見積もりには現れない「見えないコスト」。通関での予期せぬ遅延や、港でのコンテナ移動、書類手続きなどで追加費用を請求されることは日常茶飯事です。これらを事前にすべて予測するのは不可能に近く、経験豊富な現地パートナーの存在が不可欠になります。

壁②:「インシャーアッラー」の真意 – 契約と信義のバランス

「インシャーアッラー(神の思し召しがあれば)」は、ビジネスの現場で非常によく使われる言葉です。納期を確認すると「インシャーアッラー、間に合うよ」と返ってくる。しかし、これを日本のビジネス感覚で「約束」と捉えてはいけません。これは「最善は尽くすが、最終的な結果は神のみぞ知る」という、彼らの深い信仰心から来る表現なのです。

契約書はもちろん重要ですが、それ以上に「人と人との信頼関係」が物を言います。一度「信頼できない」というレッテルを貼られると、ビジネスは途端に立ち行かなくなります。逆に、時間をかけて信頼を築けば、契約書以上の強固なパートナーシップを結ぶことができるのです。

壁③:品質基準の曖昧さと検品体制の課題

古着ビジネスの生命線である「品質」。しかし、パキスタンでは品質基準が非常に曖昧です。「Aグレード」と聞いて仕入れたベール(圧縮梱包された古着の塊)を開けてみたら、半分以上が使い物にならなかった、という話は枚挙にいとまがありません。

現地には現地の基準があり、日本人の感覚とは大きく異なります。これを乗り越えるには、以下のいずれかが必要です。

  • 自分自身が現地に赴き、自分の目で検品する
  • 絶対に信頼できる現地パートナーに検品を委託する

後者の場合、そのパートナーを見つけるまでが非常に困難な道のりとなります。品質管理を徹底し、ジャパンクオリティを現地で実現しようとする日系の専門企業も出てきていますが、そうした信頼できるパートナーとの連携は、成功のための重要な要素です。

現場で掴んだ成功の鍵 – カラチの老舗業者アリさんとの交渉秘話

私がパキスタンでビジネスのイロハを学んだのは、カラチの市場で40年以上商売を続ける老舗業者、アリさん(仮名)との出会いでした。彼とのやり取りは、まさに文化理解の連続でした。

「チャイ」を飲みながら築く信頼関係

初めてアリさんの事務所を訪ねた時、私はすぐに本題の価格交渉に入ろうとしました。しかし、彼は私の資料には目もくれず、甘いミルクティー「チャイ」を淹れてくれました。そして始まったのは、ビジネスとは全く関係のない、私の家族や日本の文化についての雑談でした。1時間ほど話した後、彼は「今日はもう帰りなさい。話はまた今度だ」と言いました。

最初は戸惑いましたが、これが彼らのやり方だったのです。彼らは、相手がどんな人間か、信頼に足る人物かを見極めるために、まず時間をかけて対話します。ビジネスの話は二の次。この「チャイの時間」を大切にできるかどうかが、最初の関門です。

家族の話がビジネスを動かす

交渉が難航した時、突破口になったのは意外にも「家族の話」でした。アリさんの息子さんが日本のバイクに憧れていると聞き、次の訪問時に専門誌をお土産に持っていったのです。アリさんは大変喜び、それまで硬直していた交渉が嘘のようにスムーズに進み始めました。

パキスタンでは家族の絆が非常に強く、ビジネスの場でも家族の話題はごく自然に交わされます。 相手のプライベートな部分に敬意を払い、関心を示すことが、強固な信頼関係を築く上で非常に有効なのです。

品質トラブルを乗り越えた「誠意」という名の交渉術

ある時、アリさんから仕入れたコンテナで大きな品質問題が発生しました。すぐに彼に連絡すると、電話口では「問題ないはずだ」の一点張り。しかし、私は諦めずに、問題のあった商品の写真をすべて送り、損失額を具体的に提示し、そして何より「アリさんを信じているが、今回は残念ながらこういう結果だった。今後のために一緒に解決策を考えたい」と伝え続けました。

数日後、彼から連絡があり、次回の取引で損失分を補填してくれることになりました。彼が最後に言った「ヤマダの誠意は伝わった」という言葉が忘れられません。彼らは、筋を通し、誠意を見せる相手には、必ず誠意で応えてくれます。

これからパキスタンで勝負するあなたへ – 実践的アドバイス

私の経験を踏まえ、これからパキスタンでビジネスを始めようとする方へ、具体的なアドバイスを送ります。

パートナー選びで失敗しないための3つのチェックポイント

  1. 実績の確認: どれだけ長くビジネスを続けているか。可能であれば、他の取引先からの評判も確認しましょう。
  2. コミュニケーション能力: 英語が通じることは最低条件ですが、それ以上に、こちらの意図を正確に理解し、レスポンスが迅速かどうかが重要です。
  3. 問題解決能力: トラブルが起きた際に、責任転嫁せず、一緒になって解決しようと努力してくれる姿勢があるかを見極めましょう。

イスラム文化を理解する:ラマダン、祝祭日の影響

イスラム教は彼らの生活そのものです。特に、約1ヶ月続く断食月「ラマダン」の期間中は、ビジネスの進め方に注意が必要です。

  • 労働時間の短縮: 日中は断食しているため、多くの企業で労働時間が短縮されます。
  • 意思決定の遅延: 重要な決定はラマダン明けに持ち越されることが多くなります。
  • 日中のアポイント: 断食中の日中のアポイントは避け、午前中か日没後に設定するのがマナーです。

ラマダン明けの「イード」と呼ばれる祝祭は、日本の正月のように人々が帰省し、長期休暇に入るため、この期間のビジネスは完全にストップします。 これらの文化的なリズムを理解し、年間スケジュールを組むことが必須です。

少額取引から始めるリスク管理術

どんなに信頼できそうな相手でも、最初の取引は必ず少額から始めましょう。コンテナ単位ではなく、まずはサンプルや少量での取引を提案し、品質、納期、コミュニケーションの正確性を確認します。少し遠回りに見えますが、これが結果的に大きな失敗を防ぐ最善のリスク管理術です。

まとめ:リスクの先にこそ、真のチャンスがある

サワディークラップ!バンコクから山田です。
今回は、私の第二の故郷であるパキスタンの古着ビジネスについて、その光と影を率直にお話しさせていただきました。

確かに、パキスタンでのビジネスは複雑で、日本では考えられないような困難に直面することもあります。しかし、そのリスクを理解し、現地の文化や人々への敬意を忘れずに、誠実に向き合うことで、他では得られない大きなチャンスを掴むことができるのも事実です。

「インシャーアッラー」の言葉の裏にある深い意味を理解し、チャイを片手に関係を築く。一見、非効率に見えるかもしれませんが、これこそが、この混沌とした魅力的な市場で成功するための王道なのです。この記事が、あなたの新たな挑戦の羅針盤となれば、これほど嬉しいことはありません。


執筆者プロフィール
山田雄介(42歳)
アジア古着市場アナリスト・貿易コンサルタント
タイ・バンコク在住14年目、元伊藤忠商事、パキスタン駐在経験あり
専門分野:タイ・パキスタン・バングラデシュの古着市場
現地ネットワーク:古着卸業者50社以上との取引関係