サワディークラップ。バンコクから山田です。
タイでの駐在や現地法人の運営が決まり、「タイ人スタッフをどうマネジメントすればいいのか」と頭を抱えている方、少なくないはずです。私自身、伊藤忠商事のバンコク支店に赴任した2010年当初、まさに同じ壁にぶつかりました。日本で通用していた指導法がまったく機能しない。良かれと思って厳しく指導したら、翌日から出社しなくなったスタッフもいました。
あれから14年。タイ人の妻との生活、現地パートナーとの協働、そして数え切れない失敗を通じて、ようやく「タイの人たちと一緒に成果を出すマネジメント」が見えてきました。この記事では、タイ人スタッフの叱り方・褒め方・モチベーション管理について、文化的な背景を踏まえながらお伝えします。「日本のやり方をそのまま持ち込めばいい」と考えている方には、少し耳の痛い話もあるかもしれません。
目次
タイ人スタッフを理解するための3つの文化キーワード
マネジメントの具体的な方法論に入る前に、まずタイの職場文化を形づくる3つのキーワードを押さえておきましょう。ここを飛ばして叱り方や褒め方だけ真似しても、表面的な対処にしかなりません。
「グレンジャイ」— 遠慮と気遣いの精神
タイ語で「เกรงใจ(グレンジャイ)」という言葉があります。日本語では「遠慮」と訳されることが多いのですが、実際にはもう少し奥が深い。「目の前の相手の気分を害さないためなら、自分の考えと少し違うことをしてもいい」という感覚です。日本の「忖度」に近いかもしれません。
これが職場でどう影響するかというと、たとえば会議でタイ人スタッフが一切発言しない場面に出くわします。意見がないわけではなく、上司の考えと違うことを言って気分を害したくないのです。業務説明を100%理解していなくても、「何度も質問して相手に負担をかけたくない」と黙ってしまう。結果、指示の誤解やミスにつながることがあります。
Personnel Consultantの解説記事でも、グレンジャイはタイでの経営における最大の壁として取り上げられています。
「ピー・ノーン」— 年齢に基づく上下関係
タイ社会には「ピー(พี่)」と「ノーン(น้อง)」という呼び方が根づいています。ピーは年上、ノーンは年下を意味し、血縁関係がなくても職場の上司、学校の先輩、年上の友人に対して使います。
初対面でタイ人同士が年齢を確認し合うのは、ピーとノーンのどちらにあたるかを判断するため。ピーには保護・指導・助言を行う責任があり、ノーンには敬意を示し相談・報告する役割が求められます。
つまり、日本人マネージャーは自動的に「ピー」としての振る舞いを期待されます。単に指示を出すだけでなく、面倒を見る、困ったときに助ける、ときには食事を奢る。こうした「ピーらしさ」がないと、タイ人スタッフからの信頼は得にくい。逆にピーとしての役割を果たせば、ノーンとしての忠誠心は非常に強いものになります。
面子と仏教文化がマネジメントに与える影響
タイは国民の約95%が仏教徒です。仏教では怒りの感情そのものが「良くないこと」とされており、人前で感情をあらわにするのは未熟さの表れと見なされます。
加えて、タイは「面子(メンツ)」を極めて大切にする社会です。人前で恥をかかされることは、単なる不快感ではなく、その人の社会的な存在価値を否定する行為に近い。この2つが組み合わさることで、「人前での叱責」がなぜタイでは致命的なのかが理解できるはずです。
これら3つの文化キーワードを踏まえた上で、具体的なマネジメント術に入っていきましょう。
タイ人スタッフの叱り方 — たった一度の対応が退職につながる
タイ人スタッフへの叱り方は、日本式のマネジメントとのギャップが最も大きい領域です。ここを間違えると、優秀な人材を一瞬で失います。
人前での叱責がタブーとされる理由
こちらで14年暮らしてきて断言しますが、タイ人スタッフを人前で叱責するのは最大のタブーです。たった1回の公開叱責で、翌日から出社しなくなるケースは珍しくありません。
日本では「みんなの前で注意することで、チーム全体への教訓になる」という考え方がありますが、タイではまったく逆の効果を生みます。叱られた本人は面子を潰されたと感じて退職し、周囲のスタッフも「この上司は怖い」と萎縮して、グレンジャイがさらに強まる悪循環に陥ります。
大声で怒鳴るのも同様です。タイでは大声で怒る人は「感情をコントロールできない未熟な人間」と映ります。怒鳴れば怒鳴るほど、マネージャーとしての権威は下がっていく。これは日本の感覚とはまるで逆です。
効果的な注意・指導の5つのステップ
では、問題があったときにどう対応すればいいのか。私が長年の経験から実践している5つのステップを紹介します。
| ステップ | 具体的なアクション | ポイント |
|---|---|---|
| 1. 場所を変える | 会議室や個室に呼ぶ | 人目がない場所で1対1が絶対条件 |
| 2. 冷静に事実を確認する | 「この件について状況を教えてほしい」 | 最初から責めない。まず聞く姿勢を見せる |
| 3. 理由を説明する | 「なぜこれが問題なのか」を伝える | 改善の必要性を論理的に、穏やかに |
| 4. 一緒に改善策を考える | 「どうすればうまくいくと思う?」 | 上から押しつけず、本人の考えを引き出す |
| 5. 前向きに締める | 「期待しているからこそ話している」 | 信頼しているメッセージで終わる |
特に重要なのはステップ2の「まず聞く」です。タイ人スタッフには、こちらが想像もしていなかった事情や背景があることが多い。頭ごなしに叱ってしまうと、そうした情報が一切出てこなくなります。
叱った後のフォローが定着率を左右する
注意をした後のフォローこそが、マネジメントの本番です。
私の商社時代の経験ですが、あるタイ人スタッフに納期遅れについて個別に注意したことがあります。その翌日、あえて何気ない雑談をしに行き、お菓子を差し入れながら「昨日の件、困っていることがあったら何でも言ってね」と声をかけました。そのスタッフは最初こそ硬い表情でしたが、少しずつ本音を話してくれるようになり、実は社内の連携不足が原因だったことが判明。その後、業務フローを見直したことで問題は解消しました。
「この仕事ができるようになると、将来こんなポジションが待っている」という前向きなビジョンを示すことも効果的です。タイでは「厳しさ=愛情」という日本的な考え方は通じません。厳しくすることは「いじめ」と受け取られるリスクがある。代わりに、手厚いサポートと将来の展望を示すことで、スタッフは自発的に改善に向かいます。
タイ人スタッフの褒め方 — 「褒めて伸ばす」にも意外な落とし穴がある
叱り方にタブーがあるなら、褒めればいいのかというと、そう単純でもありません。褒め方にもタイならではの注意点があります。
具体的に褒める・感謝を伝えるのが鉄則
タイ人スタッフのマネジメントでは、「褒めて伸ばす」が基本です。特に若い世代は「怒られて伸びる」よりも「認められて育つ」傾向が顕著です。
ただし、褒め方には精度が求められます。「いつも頑張っているね」のような漠然とした褒め方ではなく、「先週のプレゼン資料、グラフの見せ方がすごく分かりやすかった」のように、具体的な行動や成果に対して褒める。そうすることで、スタッフは「自分のどの行動が評価されたのか」を正確に理解し、再現性が高まります。
感謝の言葉も惜しまず伝えましょう。タイ語で「コップクン・クラップ(ありがとう)」と一言添えるだけで、スタッフの表情が変わります。日本人マネージャーの中には、「仕事だから当然」と思って感謝を口にしない人がいますが、タイではこれが信頼関係の土台になります。
個人を目立たせすぎると逆効果になるケース
ここが落とし穴です。ある日系企業で「月間MVP制度」を導入したところ、表彰されたスタッフが周囲から嫉妬や陰口の対象になり、結局その優秀な社員が居づらくなって退職してしまった事例を知っています。
タイは、ホフステードの文化次元理論で「女性性」が世界トップクラスに高い国とされています。これは競争に勝つことや個人の突出した成功よりも、「周囲との調和」や「みんなが心地よくいること」を重視する文化的傾向を意味します。
個人を大々的に表彰する仕組みは、この文化と衝突しやすい。表彰するなら、チーム単位で行うか、個人表彰の場合は控えめな形にする工夫が必要です。
タイ人スタッフに響く褒め方の実践例
日常で使える褒め方の例をいくつか挙げてみます。
- 報告書の提出後:「この分析、視点が鋭いね。お客さんにも説得力があると思う」
- 問題を早期発見したとき:「気づいてくれて助かった。早めに手を打てるよ」
- 後輩指導をしているとき:「ノーンたちがあなたを頼りにしているのが分かる。いいピーだね」
- チームで成果が出たとき:全員の前で「みんなのおかげで目標達成できた」と伝える
最後の例のように、ピーとノーンの関係性に絡めた褒め方は、タイ人スタッフに非常に響きます。「いいピーだね」という一言は、タイの文化的価値観に深く根ざした最高の褒め言葉です。
モチベーション管理 — タイ人スタッフが長く働きたくなる職場づくり
タイはジョブホッピング社会と呼ばれ、転職に対する抵抗感が日本よりもずっと低い国です。日系企業にとって、優秀な人材の定着は常に大きな課題。ここでは、離職防止とモチベーション向上の両面から考えてみます。
タイ人スタッフが会社を辞める本当の理由
THAIBIZの特集記事「なぜタイ人は日系企業を辞めるのか?」では、主な退職理由として以下が挙げられています。
- キャリアパスが見えづらい
- 給与水準が外資系やタイ企業と比べて低い
- 本社への稟議プロセスが煩雑で意思決定が遅い
- 直属の上司との関係
特に注目すべきは「離職理由の75%は上司が原因」というデータです。つまり、マネジメントの質そのものが定着率を直接左右する。逆に言えば、マネジメントを改善すれば定着率は大きく向上します。
近年はタイ企業や中華系企業の成長が著しく、魅力的な転職先が増えています。「日系企業だから安定している」という優位性だけでは、もう人は引き留められません。
キャリアパスの「見える化」と短期目標の設定
JETROの調査レポート「組織開発を踏まえたタイ人幹部育成と現地化」では、国籍を問わない統一的なキャリアパスの導入が推奨されています。役割と成果に応じた給与体系を明確に示すことで、タイ人スタッフが「この会社で頑張れば、自分はどこまでいけるのか」を具体的にイメージできるようになります。
また、タイ人スタッフは長期的な目標よりも、手の届く短期目標に強く動機づけられる傾向があります。四半期ごと、あるいは月単位の達成目標を設定し、クリアしたら評価する仕組みが効果的です。
| 施策 | 具体例 | 期待される効果 |
|---|---|---|
| キャリアパスの可視化 | 等級別の要件・給与レンジを明文化 | 将来像の明確化による定着促進 |
| 短期目標の設定 | 月間・四半期の個人目標を上司と合意 | 達成感の積み重ねでモチベーション維持 |
| 定期フィードバック | 月1回の1on1ミーティング | 不満の早期発見と関係強化 |
| 研修ロードマップ | 入社年次別のスキル研修計画 | 成長実感と会社への帰属意識 |
職場に「サヌック」(楽しさ)を取り入れる
タイ語に「サヌック(สนุก)」という言葉があります。「楽しい」という意味ですが、タイの人たちにとって「サヌック」は生活の基本原則。仕事も例外ではありません。
「仕事は苦行であるべき」という日本的な価値観とは対照的に、タイ人スタッフは職場に楽しさや居心地の良さを求めます。これは怠惰とは違います。楽しい環境で働くことで、パフォーマンスが上がるという感覚です。
私が実際に効果を感じている職場づくりの施策を紹介します。
- スタッフの誕生日にケーキを用意して、みんなでお祝いする
- 年に1〜2回の社員旅行を企画する(タイ人は旅行が大好きです)
- 金曜日の午後にちょっとしたお菓子タイムを設ける
- ソンクランやロイクラトンなどタイの祝祭日を一緒に楽しむ
- 社内運動会やボウリング大会など、全員参加のイベントを開催する
こうしたイベントを「コスト」と捉えるか「投資」と捉えるかで、マネジメントの成果は大きく変わります。タイ人スタッフにとって、「この会社は楽しい」「居心地がいい」という感覚は、給与と同じくらい重要な定着要因なのです。
現場で使えるコミュニケーション術 — 信頼関係を築く日常の習慣
最後に、日常業務の中で実践できるコミュニケーション術を紹介します。特別なスキルは不要で、毎日の小さな積み重ねがものを言います。
指示は「なぜやるか」から伝える
日本では「この仕事やっておいて」で通じる場面も多いですが、タイ人スタッフに同じやり方をすると、「なぜこの仕事をやる必要があるのか分からない」とモチベーションが下がることがあります。
効果的な指示の出し方はこうです。
- まず「なぜこの仕事が必要なのか」を説明する
- 次に「具体的に何をしてほしいか」を明確に伝える
- 最後に「いつまでに」という納期を確認する
「察してほしい」「言わなくても分かるだろう」は通じません。曖昧さを排除して、一つひとつ明確に伝える。手間はかかりますが、後から発生する手戻りやミスが圧倒的に減ります。
「ノーグレンジャイ」で本音を引き出す
先ほど紹介したグレンジャイの影響で、タイ人スタッフは会議で意見を言わない、問題を報告しない、質問しないという行動を取りがちです。
この壁を突破するために、私のチームでは「ノーグレンジャイ(グレンジャイ不要)」というルールを明文化しています。「このチームでは遠慮はいらない。思ったことは何でも言ってほしい」と繰り返し伝える。ただし、口で言うだけでは不十分です。
実際に効果があるのは次のようなアプローチです。
- 会議では全体に「意見ある人?」と聞くのではなく、名指しで「ソムチャイさん、この件どう思う?」と聞く
- 定期的な1on1ミーティングを設けて、1対1で話す機会を作る
- スタッフが意見を言ったときに、内容に関わらずまず「ありがとう、教えてくれて助かる」と受け止める
3つ目が特に重要です。せっかく勇気を出して意見を言ったのに、即座に否定されたら、二度と発言しなくなります。まず受け止め、その上で議論を進める。この順序を徹底するだけで、チームの空気は確実に変わります。
日常の挨拶と雑談が信頼関係の土台になる
地味に聞こえるかもしれませんが、毎朝の笑顔の挨拶が、タイ人スタッフとの信頼関係の最も強力な土台になります。
あるバンコクの日系企業の経営者から聞いた話です。問題行動が目立つ40代の男性社員がいたそうですが、その経営者は毎朝、根気強く笑顔で「サワディークラップ」と声をかけ続けた。最初は無視されていたものの、数週間後にはその社員の方から笑顔で挨拶してくれるようになり、態度も改善したそうです。
タイ人は「人につく」と言われます。会社の制度やブランドよりも、「この人のもとで働きたい」という気持ちで動く。だからこそ、日常のコミュニケーションを通じて「この人は信頼できる」「この人は自分を大切にしてくれる」と感じてもらうことが、何よりも大切です。
お菓子を配りながら雑談する、ランチを一緒に食べる、スタッフの家族のことを気にかける。ナムチャイ(思いやりの心)を日々の行動で示していけば、タイ人スタッフは驚くほどの忠誠心と責任感を発揮してくれます。
まとめ
タイ人スタッフのマネジメントで最も大切なのは、「相手を自分のやり方に合わせようとするのではなく、自分のマネジメントを相手の文化に合わせて進化させる」という姿勢です。
グレンジャイ、ピー・ノーン、面子と仏教文化。これらを理解した上で、叱り方を変え、褒め方を工夫し、職場の居心地を整えていく。日本式が悪いわけではなく、タイの文化に合った形にチューニングする必要があるということです。
14年間バンコクで働いてきた私から一つだけ言えることがあります。タイ人スタッフは、信頼できるリーダーのもとでは想像以上の力を発揮する。その信頼を勝ち取る鍵は、文化への敬意と、日々の小さなコミュニケーションの積み重ねです。
この記事が、タイで働く皆さんのマネジメントの一助になれば幸いです。